昭和63年の発掘調査により、永らく神社地の下に埋もれていた飛騨国分尼寺の金堂跡が、そして平成15年には、講堂跡が発見されました。金堂は、奈良唐招提寺の金堂と同一一の吹きはなし構造をもっていたことが分かりました。 奈良時代、全国の国々に国分尼寺が建てられましたが、その位置や構造など詳しいことが分かっておらず、飛騨国分尼寺のように建物構造まで明らかになったのは希有のこととされています。
神社建築には珍しい方形造りで、かつてここは大成院といわれ、神仏混交時代の建造物であることが分かります。慶長年間(1596〜1615)に創建され、天保10年(1839)に再建されています。
杉は、白山神社の本殿脇に立っており、樹齢、推定1200年、、目通り約7m、高さ約25mあり、役行者(役小角)が植えたという言い伝えがあります。慶応2年(1866)、 暴風雨で枝が折れたとき、その枝に射込まれた矢尻が発見されました。これは、中世、出陣する武士が吉凶を占うため射たものといわれ、そこから矢立杉の名がつきました。
日枝神社例祭(春の高山祭)の祭屋台12台中、2台が南地区にあります。
・琴高台(本町1丁目)琴高仙人に因んだ鯉尽くしの屋台。鯉と波浪を刺繍した天幕のほか、伊達柱の金具、中段の彫刻、見送り幕などに鯉があしなわれて見事です。文化4年(1807)に曳かれた記録があります。
・青龍台(川原町)天守閣風の人母屋造りの屋根と、三重の台形をもつ特色ある屋台です。創建年代は未詳ですが、明和3年(1766)にあったという記録があります。
松倉山北麓の広大な地に、合掌造りや樽葺き屋根の民家など、飛騨各地から移築された代表的な民家、30数棟が建ち、国、岐阜県の指定文化財となっています。 また、各民家には飛騨の生活の中で生まれ、使われてきた飛騨のそり、養蚕用具、山農村の生産用具が国の文化財として展示されています。